潜在意識って怪しくない?

 こんにちは、沙耶です。「潜在意識を覚醒させる」とか、「潜在意識を活用する」とか、自己啓発系の書籍やサイトには胡散臭い言葉が書いてあったりします。もちろん正しいことを書いている所もあるでしょうが、よく分からず「怪しいカルト」のようなイメージを持ってしまう書籍やサイトも結構ありますよね。

 そこで今回は、明晰夢や自己暗示のような意識を使う方法を試す人の「潜在意識って何なの?」という疑問を解消していきたいと思います。

そもそも心とは?

過去の記事「明晰夢って意味あるの?」では心の作られ方について説明しました。物質を基準にして話せば、産まれる前に作られる「遺伝の要素」と生まれた後に作られる「経験の要素」があるのでした。これは観察できる行動を研究する心理学である「行動心理学」に基づいた考え方です。

一方、潜在意識は行動心理学が出来る前の学者であるフロイトという人物が提唱した「無意識」、その中でも生まれてすぐの頃から心を支配しているエスまで遡れます。フロイトは心がエス、自我、超自我の三つの要素から成ることを提唱しています。では、このフロイト心理学と遺伝と経験から成る行動心理学、どちらが正しいのでしょうか?まずはフロイトの心理学を見てから、行動心理学と比べてみましょう。

フロイトが発見したもの

人間は生まれた瞬間から心を持っていますが、赤ん坊の心は「」と「不快」しかありません。なのでできるだけたくさん快を得ようと、不快を避けようとします。赤ん坊はお腹が空いたら泣いてアピールしますが、そのとき親が忙しいかどうかなんて気にしませんよね。このような行動原理を快楽原則と呼び、心の中で快楽原理に従う部分をエスと呼びます。エスは成長しても無意識の中で存在し続けます。それでも私たちが必ずしも快楽原則に従わないのは、成長して自我が芽生えたからです。

いくら快楽原則に従いたいからと言っても、泣けばご飯が出てくる時期はいつまでも続きません。生きるためには快楽原則を抑えて状況に適応するような新しい原則が必要です。これを現実原則といい、これに従うのが自我です。あくまでも「これをやりたい」と思うのはエスですが、それが現実的か、するためには何が必要かなどを自我が考えるのです。しかし、自分がやりたいことをするためだけに心を動かしているかと言えば、そうでもありませんよね。そこで新しく芽生えるのが超自我です。

「電車の中で通話をしない」というのは、守っても自分が得することではありませんからエスは要求しませんし、自我もエスが要求しなければ考えません。しかし実際には電車の中で通話しない人はとても多いです。これは快楽原則を越えて道徳を守る働きがあるからです。この働きがある心の部分を超自我と言います。人の心はエス、自我、超自我からできているというのがフロイトの考え方です。

結局どういうこと?

フロイトの考え方を見てきましたが、何となく遺伝と経験の話に近いと思いませんか?

 行動心理学では生まれる前に遺伝の要素が作られます。遺伝は生き残りやすい特徴が残るので、「生き残りやすい行動を取れば快楽を感じる」ということになります。つまり、快楽原則に従うエスと同じです。

 経験の要素は遺伝の要素に条件付けされて作られます。つまり、「遺伝の要素を満たすために必要なこと」を探して行動するということです。フロイト心理学でも成長、つまり「経験を積む」ことによって快楽原則を抑える作用、自我が大きくなります。例えば食べ物を食べるためには働いてお金を稼がないといけないというとき、「大変な作業をしたくない」というエスを「食べるためには働かないといけない」という自我が抑圧しています。また、超自我も「道徳に従えば周りから敵視されにくい」という条件付けでできた経験の要素だと考えられます。

つまり、潜在意識とは生まれたときから変わらない、快楽原則に従う人間の行動の大元ということです。潜在意識は自分で意識しようとすると、自我によって「まあ実際にはありえないんだけどね」と思ってなかなか表面に現れません。しかし「見たことがないからこれからも見ることはない」という経験則に縛られている限りタイムリープなんてできるはずがありません。では、どうやって潜在意識を自我に邪魔されずに表に出すことができるでしょうか?

潜在意識をどう使うの?

 私たちが目指しているのは、「過去の世界を経験すること」です。そして、潜在意識は快楽原則に従うのでした。つまり、潜在意識はタイムリープすることを望んでいるはずです。それを邪魔しているのは自我や超自我などの経験の要素ですね。

ほとんどの人は、過去に飛ぶ経験をしたことがありません。つまり、過去に飛ばない前提で自我や超自我が作られています。食事や睡眠、アミューズメントなど他の快楽を求めるために、経験上は存在しないタイムリープするという快楽を抑圧してしまうのです。

 そこまで分かってしまえば簡単です。一時的に自我や超自我を消し去り、タイムリープするという快楽を享受するのです。タイムリープを1度経験してしまえばそれは経験の要素により抑圧が小さくなるので、二回目以降は簡単でしょう。難しいのは最初だけです。その最初の1回で自我や超自我を消し去るのが明晰夢であり、自己暗示なのです。

『潜在意識って怪しくない?』へのコメント

  1. 名前: 投稿日:2017/11/07(火) 23:56:08 ID:605ba5b5f 返信

    ふむなるほど。腹減った(エス)→バレないように財布から千円盗んでポテチでも買うか。(自我)→いややっぱ犯罪だしやめとくか(超自我)というふうな感じか。

    ふと思ったのだが、タイムリープしたいというのはエスではなく自我なのではないか?

    タイムリープしたいというのは興味本位や逃げたいといった思考から発生した自我なのではないかと俺は推測する。この場合潜在的なのはやはり興味、逃げたいといったものがエスにあたるのではないだろうか

    間違っていたら教えてほしいのだが、エス=欲求、自我=方法、超自我=経験からなる道徳的な制約という感じなのだろう。
    だから、「経験からなる道徳的な制約」により、ほどよい感じに「方法」が変化し、欲求を満たすということなのではないかと俺は思う。

    だとすると、明晰夢も自己暗示も自我なのではないだろうか。とすると自我や超自我を消すことは明晰夢や自己暗示(方法)も消すことになるのではないだろうか。

    おそらくエスというのはやはり自我あってのものなのではないだろうか。

    最後に感想を言おう。一言でいうととても良い記事だった。見やすいし色使いもいいと思う。そして何より分かりやすい。
    「経験則に縛られている限りタイムリープなんてできるはずがありません。」
    ここをどうにかして克服することが大事だということがよく伝わった。

    また記事を楽しみにしていよう。

    • 名前:沙耶 投稿日:2017/11/08(水) 08:57:37 ID:f3ef093d5 返信

      コメントありがとうございます!

      確かにタイムリープしたいという意思はそれ自体が目的ではなく、タイムリープを使って目的を果たしたいという意思なので自我の方が近いと考え直しました。明晰夢や自己暗示がこの論理で行くとどういう解釈になるのか、まだ考察の余地がありますね。

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