日本は空気に支配されている?

 こんにちは、沙耶です。西洋の魔術を日本人が使えるようにするためには日本人の信仰は何か考えなければならないことを過去の記事で紹介しました。日本人の宗教観を独自の視点から研究していた評論家に山本七平がいます。日本人は結婚式をキリスト教式、葬式を仏教式、七五三を神道式など様々な宗教の儀式を行っていますが、山本七平によるとそれらは1つの日本の宗教、日本教に基づいて行われていると言います。今回は山本七平が提唱する日本教の概念を紹介したいと思います。

神仏から指示されない

 日本古来からの宗教である神道では、アマテラスを初めとする八百万の神があります。古事記や日本書紀などの神道の神話によると初代天皇である神武天皇は最高神アマテラスの子孫であり、平成の天皇もこの子孫です。なので第二次世界大戦が終わるまでは天皇は人間でありながら神でもある現人神という扱いでした。つまり、日本にも古来から神という概念は存在するし、神社で拝む習慣もありました。

 しかし、ほかの宗教と比べると信仰の仕方が違います。例えば仏教が中国から入ってきたとき、八百万の神の一柱として仏を信仰することはできます。実際、七福神のように仏教とともに入ってきたインドや中国の神が今でも神社で祀られていますし、大黒天とオオクニヌシのように日本の神と外国の神が同一視されることもあります。しかし、中国に戦争で負けたわけでもないのに今まで信仰してきた宗教を捨てて新しい宗教を取るというのは考えづらいです。それにも関わらず飛鳥時代では蘇我氏と物部氏という仏教対神道の構造ができあがりましたし、奈良時代には神道の神である天皇自らが主導となって全国にお寺を作ります。お寺を仏という神様だけを祀る神社だと捉えるならまだわかりますが、失明してまで中国に渡りお経を手に入れようとする鑑真などを見るとそういうことでもないようなのです。

 逆に、仏教を深く信仰していたかと言うと、そうでもありません。元々仏教は悟りを開くために八正道という行動規範を示していましたが、日本人の中で悟りを開こうとした人はそう多くありません。日本で発達した仏教は阿弥陀如来といういつか現れる仏に頼るために辛いとき「南無阿弥陀仏」と唱えるというもので、悪くいえば他力本願の宗教になってしまいました。今の日本人にも言えることですが、日本人は誰かに「ああしなさい」と言われることを嫌がります。もし神がイスラム教のように「1日5回拝みなさい」と言ってきたら、おそらくその神を拝む人はいなくなるでしょう。逆に言えば日本教とは明文化された行動規範のない宗教なのです。

 西洋人から見ると無宗教というのは行動規範がなく、いつどんな悪いことをするか分からない野蛮な人たちです。しかし日本人は宗教的な行動規範がなくとも「何をしてもいい」とは思いません。では、日本人は行動規範以外の何を基準に善悪を判断しているのでしょうか。

日本人の善悪

 日本人や日本人の知り合いのいる人は分かると思いますが、日本人にも善悪という概念はあります。しかし、ほかの宗教では神の教えに合うものが善で合わないものは悪となります。しかし、日本人には従うような神仏はおらず、絶対的な善悪はありません。むしろ日本人は神を利用して恋愛成就や受験合格を成し遂げようとするので、実質的には神は人間のためにあるという考え方です。

日本教では、人間に指示をするのは神ではなく、所属している集団によって暗に指示されます。これが「空気を読む」「空気が変わる」というときの空気です。地震や噴火のように、日本人にとって歴史的に自然災害が恐怖の対象であり、神道の神様も自然災害を沈めるために祀っています。逆に言えば自然に対して人間が対応していくという考え方が定着しているのです。だから空気を読まない行動は悪となり、村八分の刑が執行されます。空気は決して「ああしなさい」と分かるように人間に指示することはせず日本人の宗教観によってのみ現れるので日本人は従うのです。

 この宗教は表に現れにくいです。なぜなら神を信仰しているわけでもなく、決まった行動規範があるわけでもないからです。重力によって時空が歪むように時と場合によって規範が変わるだけなのですが、日本教を信仰している日本人ですらも自分のことを無宗教だと考えることがあります。

天皇の立ち位置

 江戸時代、名目上は天皇のいる朝廷が国のトップでしたが、実質的に国を統治していたのは幕府でした。そして幕府は今で言う戸籍管理のために全ての日本人に所属する寺を持たせる檀家制度を始めました。これによって仏教の力は強くなり、神道での葬式を禁止されるほどになりました。一方で江戸時代には日本独自の宗教を取り戻そうとする国学が生まれました。その中で本居宣長による古事記の注釈書である古事記伝が発表されると、神道的な歴史書である古事記が広く読まれるようになります。

仏教、神道の他に日本に影響を与えた宗教として儒教があります。儒教は孔子の教えであり行動規範のある宗教ですが、日本に入ると朱子学として研究され始めました。儒教は古来からの皇帝を尊ぶ思想であり、民が正しいことをすれば平和な世の中になるという考え方をします。儒教では科挙という試験制度のような様々な制度も考えられていますが、儒教の中の「皇帝に敬意を示さなければならない」「民一人一人が正しいことをすれば平和になる」という思想だけが日本に取り入れられ、天皇に敬意を払わない幕府を倒そうという動きが起こりました。

幕府が朝廷に政権を返す大政奉還をすると、天皇を中心とした新政府は国家神道を制定しました。これは山本七平には天皇を唯一神、教義を空気としたキリスト教に近い宗教になっていると考えられています。なので国家神道も天皇が最高神アマテラスの子孫であるということは変わらず、天皇を神として崇めました。これによりキリスト教が広まることによって天皇の威厳がなくなることを防ぎ、外国の影響を受ける前の日本人本来の信仰を取り戻したかのように見えました。

 しかし昭和に入り第二次世界大戦で敗戦すると、天皇は人間宣言をすることになります。国家神道の根幹である天皇の神性を否定されることで日本人は唯一神的存在を失いました。残ったものは文明開化によってもたらされた唯物論的な文明と国家神道の教義であった空気です。

今の日本人の信仰

一人一人が正しいことをすれば平和になる、と言うとき、正しいことというのは教義である空気によって決まります。キリスト教において神の言うことが絶対であるように、日本教においては空気が絶対なわけです。そこに論理は通用しません。そして空気は簡単に強くなったり弱くなったり変化したりする教義で、体系を作るのは困難です。しかしそれでも神社や寺の前で手を合わせ続けるのはなぜか、というところに新しい発見があるのではないかと思います。

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